私が、千雪の心臓疾患について、そして18トリソミーモザイク型であると告知を受けてからもうすぐ3年になる。
告知を受けてすぐに医師に「妊娠、出産はできるんですか?」「学校には行けますか?」「お話はできますか?」「歩けますか?」そんなことを聞いた。
そのころの私の頭の中での普通とはそんなことだったんだろう。
自分が障がい児の親になることを受け入れることが出来ず葛藤していた日々。
千雪が、いまここで頑張って生きようとしていることよりも、これからの自分の人生を悲観的にしか考えることが出来なかった日々。
自分が奈落の底に突き落とされた悲劇のヒロインのようになり、絶望感しかなかった日々。
全て自分のことだけを考えていた。
あれからもうすぐ3年、千雪も年が明ければ3歳を迎える。
わたしの幸せのものさしはあの頃とは変わった。
千雪が出来ないことを嘆くより、出来たことを喜べるようになり、
千雪と出会えたことを心から嬉しく思い感謝している。
千雪の小さな一歩が私の大きな喜び。
そして、その喜びが私のこころを幸せでいっぱいにしてくれる。
もちろん千雪が何の病気もない元気な女の子だったら・・・
って思うこともある。
でも、それでイイと思う。
当たり前だけど、大切な我が子が病気であることを喜ぶ親はいないだろう。
千雪のいのちが今ここに輝いていることは、何よりも幸せなことだ。
お兄ちゃんが健やかに育っていることにも日々感謝している。
健康な体を持ち、優しく成長してくれているお兄ちゃんにも私はずいぶんと助けられている。
そしてどんなにありがたいことかと思う。
ママはそう思いながらも叱ってばかりだけどね^_^;
千雪と出逢うまで意識して過ごすことなんかなかった全てのこと。
自分が生きていることとか、住む家があって、毎日ご飯を食べることが出来てること。。。
そんなことが幸せだと思える。
これからも、千雪にとっての生きる喜び、幸せな生き方を一緒に探していきたい。って考えている。
人間は一人一人考え方や生き方が違って当たり前。
だからこそ人と人との繋がりもおもしろい。
まだ千雪がNICUにいる頃、毎日面会に通いながら、外来に来ている重度の障がいのある親子を大勢見ながら私は、「どうして我が子に障がいがあるのに、お母さんはどうしてあんなに明るく振る舞えるのだろう?」といつも感じていた。
障がいに違いはあれど、自分自身が障がいのある子どもを持ち、共に暮らしていくなかで少しずつわかってきた。
障がいがあっても人生を幸せだと感じるひと、障がいが無くても人生を不幸だと感じているひと。
ひとは心の持ち方ひとつで幸せの感じ方が違ってくると思う。
ひとにどう思われるかよりも自分がどう生きるか。
はじめは、明るくしていないとやっていられない!
強くならなければおかあさんは出来ない!
そんな意地も張っていた。
もちろん楽しいことだらけの子育てではない。
ストレスたまるし、今はひとりの時間なんてゼロ。
でも、もしもひとりの時間が持てたとしても、子ども達のことばっかり考えて落ち着かない時間になることだろう(^^)
子どもが見ていないところで流す涙もあってイイんだ。
凹んだり、元気になったり、それでイイんだ。
あるがままでいいんだよね。
無理をしていると、どこかでダメになるなぁと思った。
だから無理はしないことにしている。
人から「がんばって!」「偉いね!」「大変ね!」って言われることに対してトゲトゲの心のなかで反発していた時期もあった。
今では、素直に頑張ろう!って思えるし、何より一番がんばっているのは千雪だし、「偉いのは私じゃなくて千雪です!」って笑顔で言える(^^)
確かに大変な時もある。
でも私は、たった一人の千雪の母親ですから!
時々言われる「ちいちゃん、お鼻に何もついてなかったら小さいだけで普通よね。」
普通ってなんだろうね?
今でもわからない。
でも確かなこと、千雪は千雪なんだ。
当たり前だけど、私は私。
そして私自身、自分が普通なのかわからない。
多分、普通じゃない。。。
正直、18トリソミーの告知を受けてしばらくは、1歳のお誕生日が迎えられることも考えられなかった。
そんな千雪が3歳を迎えることなんて夢のような現実。
(来年の話なのにね、気の早いママは昨年と同じお店に、バースデーケーキをもう予約してあるんです♪)
そして、やがて自分の脚で大地を踏みしめ歩くだろうと私に確実な希望を持たせてくれる娘に感謝してもしきれない。
私自身、こんなこと予想さえ出来なかったもんね。
短命ならばいっそ早くいなくなってほしいとさえ思っていた母を千雪は許してくれているだろうか?
告知を受けたとき、18フルトリソミーでも合併症や成長には個人差があり、18トリソミーモザイク型の場合の成長も個人差が大きく医師にもどのように発達していくかは分からないと言われた。
医師から3歳のお誕生日をメドに、もう一度染色体検査をしたいとの申し入れがあった。
もちろん検査をしたところで千雪の染色体異常が治るわけではないけれどね。
生後間もなくの検査では18トリソミー45%のモザイク型でした。
医師の話ではモザイク型の場合、成長過程でまれに%が低くなっている場合もあるそうです。
千雪の発達や成長を診てくれている医師もそれを期待してくれているのかな?
残念ながら、0%にはなりませんけどね。
この検査で今後の医療に何らかの形で千雪が貢献できるかどうかはわからないけれど、役立てるかな?
そんな想いもあります。
こどもと共にこれからもお母さんは成長します!
松下 幸之助さんの言葉です。
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道
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広いときもある。
せまいときもある。
のぼりもあればくだりもある。
坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
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幸之助さんは、休まず歩むって書いているけど、私は少し休みながらでもいいって思っている。
千雪とそしてお兄ちゃんの母親として歩く私の道。
他の誰にも歩くことが出来ない私だけの大切な道。
そして、千雪にもお兄ちゃんにも自分だけの道がある。
多分、おそらく、愛おしい娘が私より先に逝くであろうという不安が、いつも私につきまとっていることは体を引き裂かれるような想いだ。
でもそれが現実なのだろう。
ならば、そんな日が来たとき、私が平気でいられるかと言われれば、それは絶対にあり得ない。
いまは、こう考えている。
いつか私が千雪と同じ場所へ逝くためにも、天に与えられたこのいのちに感謝しながら、がんばっている千雪に恥じないように、負けないように、私も前に進んでいこう!
最近、自分の手拍子で上手に音が出るようになって嬉しくてたまらない千雪は、ママの歌に合わせて、タンバリンを叩くおもちゃのおさるさんのようにずっと手拍子をして嬉しそうにしています。
そんな姿を見ながらこの穏やかな時間をとっても幸せに感じます。
ずっとずっとこのまま時間を止められたら・・・なんて考えたり。
実のところ、前を向いて進んでいくばかりではないことも度々あるのです。
複雑なのよね、こころのなかは。。。
長々と書いてしまった独り言を読んでくださりありがとうございましたm(__)m
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最近、体調を崩している千雪のお友達が何人かいます。
そして、今日もたくさんのいろいろな病気と闘っている子ども達もたくさんいます。
みんなみんながんばっている。
子ども達をどうか助けてください。
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